nanaの菜園

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【にほんごであそぼ】9月3日(月) 義経千本桜「四ノ切」・百人一首 清少納言(62番)

私も佑くんも大好きな番組、Eテレ「にほんごであそぼ」の視聴レポート。

その日の見どころを取り上げます。

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義経千本桜・四ノ切

画面では

勘九郎さんがキツネをアレンジした衣装を身に着け、キツネらしい仕草や、膝を支点にクルクル回る技を披露。

佑くん、「お--------っ」

勘九郎さん、お見事!!!

演目の内容

源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちとそれに巻き込まれた者たちの悲劇を描いた歌舞伎・文楽の演目です。

義経をめぐる人物群に注目したことで作劇の幅が大きく広がり、多彩な場面を描き出します。

あらすじも、源平合戦で滅びたはずの平知盛平知盛・吉野の弥左衛門一家・義経の家臣佐藤忠信の偽者(源九郎狐)それぞれ三つの筋となります。

 

芝居用語でこの三話を二段目・三段目・四段目といい、それぞれのクライマックスのことを「切り場」と呼びます。『四ノ切』は、四段目の切「河連法眼館の段」だけを上演する際の名称。

下記のサイトに詳しい内容が載っています。

演目ひとくちメモ

 

吉野の山中に身を隠す義経のところへ、静御前が訪ねてきます。

静の身辺を守った忠信、実は狐の子でした。

静のもつ「初音の鼓」の皮は狐のもので、狐忠信の両親でした。

親を慕う美しい白狐。

立ち回りの後、キツネの心根に感じ入った義経から名前と鼓を贈られます。

その名は源氏の「九郎判官義経」の名からとった「源九郎(げんくろう)」
源九郎ギツネは自分の両親「初音の鼓」を手に、喜び勇んで飛び去って行く・・・

 

思い出

学生時代、猿之助歌舞伎で、源九郎ギツネの宙乗りを見ました。

白キツネの衣装に身をつつんだ先代猿之助が、宙乗りで鼓を打ちながら客席の上をわたっていきます。

私が歌舞伎の面白さにはまった瞬間でした。

 

衣装がシュパッと変わったり、アクロバティックに狐が飛んで来たり、最後は宙を駆け上っていったり…

そんな奇抜な演出のことを歌舞伎の言葉で「ケレン」と呼びます。

 先代である三代目猿之助は歌舞伎の「ケレン」、その魅力を華麗に最大限に引き出して見せてくれました。

歌舞伎を初めてみる私のような初心者には、ピッタリの演目であったと思います。

2012年の紅白では、4代目猿之助(先代の甥)と中車(香川照之・四代目の従兄弟・三代目の実子)の2人が襲名披露口上と宙乗りを行う演出を受け、親交の深い福山雅治が「Beautiful life」を披露した事も思い出しました。

 

絵あわせ百人一首  清少納言(62番)

 夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀(はか)るとも
   よに逢坂(あふさか)の 関は許(ゆる)さじ

           清少納言(62番) 『後拾遺集』雑・940

【意味】
夜の明けぬうちに、鳥の鳴き声を真似て関守を騙して通ろうとしたとて、函谷官の関守ならいざしらず、私との逢坂の関を通る事は許しませんよ。
【解説】
”夜をこめて”:夜のあけないうちに。
”鳥のそらね”:鳥の鳴きまね。中国の孟嘗君が、鳥の鳴きまねが得意な食客の働きにより夜が明けないと人を通さない函谷関を通った故事による。
”よに”:けっして。下に打消の語を伴う。
”逢坂の関”:近江国と山城国との境にある逢坂山にあった関。男女の逢瀬に掛けられている。

作者が藤原行成と夜更けまで話した翌朝、行成が後朝(きぬぎぬ)めかして「昨夜はあなたとの逢坂の関で」と言ってきたので詠んだ歌です。
中国の故事を短い言葉に現している作者の博学さが伺える、男友達との戯れの歌です。
作者は清少納言(せいしょうなごん)。平安時代の女流作家・歌人で、枕草子の作者としても有名です。清原元輔(42番歌)の娘で、清原深養父(36番歌)のひ孫にあたります。

https://shikinobi.com/hyakuninisshu/3

 

 

※ 後拾遺集の詞書及び枕草子(第136段『頭の弁の、職にまゐり給ひて…』)によると、

清少納言と深夜まで語り合った藤原行成が、翌日に行われる宮中の物忌みを理由に、男女の関係を持つことなく帰ってしまった。

翌朝、行成は「鳥の声にもよほされて(せかされて帰った)」と言ってきたので、清少納言は、「鳥とは、函谷関の鶏、即ち、嘘の言い訳でしょうと言い返した。

これに対し、行成は、函谷関ではなく、逢坂の関、即ち、あなたとは男と女の関係ですよと反論した。

そこで、清少納言は、この歌によって、自分に逢うことは決して許さないという意思を表し、行成をやりこめた。

ところが、その後に、行成は、逢坂の関は、誰でも簡単に通れる関ではないか、つまり、清少納言は、どんな男でも相手にしているではないかという内容の歌を詠んだ。

http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin/062.html

故事や掛詞に彩られた、才女清少納言らしい歌ですね。

和歌としての優雅さは、今一つだと思いますが。

 

May this small seed sprout in your field.
See you.