nanaの菜園

nana(ばぁば)が室内園芸・孫育て・発達障害などについて、小さな種をまきます

【にほんごであそぼ】9月4日(火) どぶかっちり・百人一首 皇太后宮大夫俊成(83番)・ベベンの方丈記

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私も佑くんも大好きな番組、Eテレ「にほんごであそぼ」の視聴レポート。

その日の見どころを取り上げます。

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どぶかっちり【丼礑】

萬斎さん登場

おなじみのブルーストライプのスーツに、ニワトリの被り物・腕には白い羽根でフリフリのマンボ袖、軽快にマンボのステップ・・・

すでにバァバはしびれています。

 

立ち止まった萬斎さん、ニワトリの動きそのもので川の水面を覗き込む。

ママ「すごい動きやなぁ、修練やね」

ここからは正統派狂言、石を拾って川に投げ込み、音を聞いて水の深さをはかり、浅瀬を渡ります。

 

再びニワトリ萬斎は、マンボのリズムで退場、最後にドアップの顔で指パッチンのサービスシーン。

もうバァバとママは佑くんそっちのけで、画面にかぶりつきでした。

 

どぶかっちり

狂言の曲名。座頭狂言。

勾当(こうとう)(シテ)と菊都(きくいち)(菊市とも)の2人の盲人が上京する途中、勾当が『平家』を語って聞かせ、しばらく行くと川に差しかかる。

渡り瀬を知るため礫(つぶて)を打つと、最初は「ドンブリ」と沈み、場所をかえると「カッチリ」と底に当たるので、勾当が菊都に背負われて渡ろうとすると、通りがかりの者がかわりにその背に乗り渡ってしまう。

勾当に呼び戻された菊都は不審に思いながらも勾当を背負ってまた渡り始めるが、深みにはまってずぶぬれになる。

寒いので菊都に持たせた酒をつがせるが、これも通行人が受けて飲み、そのうえ2人にいたずらをするので、盲人たちは互いのしわざと思い、けんかを始める。

大蔵流では菊都が勾当を倒して入り、和泉(いずみ)流では目明きの存在に気づくが、菊市が勾当を目明きと間違え竹杖(たけづえ)で追い込む。この曲の趣向は十返舎一九(じっぺんしゃいっく)『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』塩井川の場に取り入れられている。[林 和利]
『出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)』

 

勾当、座頭とは

座頭(ざとう)は、江戸期における盲人階級の一つ。またこれより転じて按摩鍼灸琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。

今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代

幕府障害者保護政策として職能組合「」(一種のギルド)を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。

検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていたという。

これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。

金銀によって早期に官位を取得することもできた。― ウィキペディア

 

「どぶかっちり」は盲人を主人公とし、現在では差別用語とされている呼び名を使用しているため、差別助長につながるとして、最近はほとんど上演されない演目だそうです。

このあたり、落語などにもそのような問題があると聞きますが、なかなかに難しいですね。

バァバもどのように考えたらいいのか、正直よくわからない、というのが本音です。

ここまで調べるとだんだん面白くなってきますが、きりがないのでこのあたりで留め置きます。

ただ、希少な演目もしっかり修養されている萬斎さんのすごさだけは、本物ですね。

 

 

 絵合わせ百人一首  皇太后宮大夫俊成(83番)

 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入(い)る
 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

 皇太后宮大夫俊成(83番) 『千載集』雑・1148

 

■□■ 現代語訳 ■□■
  
この世の中には、悲しみや辛さを逃れる方法などないものだ。思いつめたあまりに分け入ったこの山の中にさえ、哀しげに鳴く鹿の声が聞こえてくる。
 
■□■ ことば ■□■

【世の中よ】
「よ」は詠嘆の間投助詞です。「というものは、ああ…」というようなイメージでしょうか。
【道こそなけれ】
「道」とは手段とか手だてといった意味です。「こそ」は強意の係助詞で「なけれ」は形容詞「なし」の已然形でこその結びとなります。「(悲しみを逃れる)方法などないものだ」という意味。
【思ひ入(い)る】
「深く考えこむこと」ですが、「入る」は「山に入る=隠遁する」と重ね合わされ、「隠棲しようと思い詰め、山に入る」という意味になります。
【山の奥にも】
「山の奥」は、俗世間から離れた場所、という意味です。
【鹿ぞ鳴くなる】
牝鹿を慕う牡鹿が山の中で鳴いている風情は、哀れを誘い和歌では人気があります。「ぞ」は強意の係助詞。「なる」は推定の助動詞「なる」の連体形で、「鹿が鳴いている」という意味です。

 

■□■ 作者 ■□■

  皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり。
                        1114~1204)
 藤原俊成(ふじわらのとしなり)。権中納言藤原俊忠の子で、百人一首の撰者、定家のお父さんです。歌論書「古来風躰抄(こらいふうたいしょう)」を著し、余情幽玄の世界を歌の理想としました。西行法師と並ぶ、平安末期最大の歌人です。正三位・皇太后宮大夫となり、63歳の時に病気になり出家、釈阿(しゃくあ) と名乗りました。

https://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/083.html

   

格調高く深みのある余情美を特徴とし、古歌や物語の情景・心情を歌に映し奥行きの深い情趣を表現する本歌取や本説取(物語取)などの技法を確立した、とされます。

俊成は歌の道を極め、第七勅撰集『千載和歌集』の撰者となり、子息は百人一首の撰者・定家。

出家の願いは、持病の悪化をもって初めて許されています。

歌を詠む中に生きる意味を見出すことが出来た、歌人としては至高の人生であったと思います。

 

この世をはかなみ、地位も捨て妻子も捨て、出家して道を求める。

これ、悪く言うと当時のトレンドでもあったのでしょう。

友人の西行なんか、裾にすがりつく我が子を蹴落として家を出た、と言う逸話が残っていますね。

 

汚辱にまみれた現実世界からの逃避、いつの時代でも形を変えて受け継がれているような。

そこから生まれるのは、俊成や西行の歌のように人の魂に訴えかけるものであれば、と願わずにはいられません。

 

 

 

ベベンの方丈記

高知県四万十川の沈下橋の上で、ソプラニスタ・岡本知高さんが雄大に歌い上げます。

(頭に土佐の闘犬のかぶりものですが)

 

行く川のながれは絶えずして  しかも本の水にあらず

よどみに浮ぶうたかたは  かつ消えかつ結びて  久しくとゞまることなし

世の中にある人とすみかと  またかくの如し

 

沈下橋

流れに逆らうことなく、水を留めることなく、平坦に立つ沈下橋。

移りゆくものの儚さ・厄災と人間の無力さが描かれた方丈記ですが、沈下橋と四万十川・岡本さんの歌声とともに味わうと、無常感から解放され浄化されるような気がします。

四万十川(沈下橋) | 一般社団法人 四万十市観光協会

 

 ソプラニスタ

男性でありながら女性ソプラノの音域を持つ男性ソプラノ=『ソプラニスタ』。ソプラニスタの多くがファルセット(男性裏声)を用いて高音を発声するのに対し、岡本はそのソプラノの音域を生まれながらにして持つ、世界でも希有な『天性のソプラニスタ』である。

blog.goo.ne.jp

 では、その岡本さんの歌声をどうぞ。

www.youtube.com

プッチーニ「誰も寝てはならぬ」

 

「もののけ姫」の主題歌を歌うカウンターテナーの米良さんも、動画で検索してみてくださいね。