私も佑くんも大好きな番組、Eテレ「にほんごであそぼ」の視聴レポート。
その日の見どころを取り上げます。
今回、UPが大変遅くなりましたが、よろしければお付き合い願います。
梟山伏・ふくろうやまぶし
背景
背景には、ブルーと赤で針葉樹の模様が一面に描かれています。
狂言での背景は「鏡板」といって、能舞台の正面奥にある羽目板に老松が描かれていますが、それを大胆にアレンジしているようです。
「老松」とは長い年月を経た松、転じて人物や組織の末永い繁栄を願う象徴なので、子どもたちのすこやかな成長を願うにはピッタリですね。
また、木々を一面に描いて、深い山中での出来事を表しているようです。
登場人物
山伏(萬斎さん)
修験道の行者である山伏(やまぶし)は、能では法力をもって悪霊を退治するヒーローとして登場しますが、
狂言においては、その力をかさに着て偉ぶった人物として描かれます。
そのくせ、病気を治そうと術をかけるもののうまくゆかず、より事態を悪くしたり、横暴さゆえに自分の周囲の人々にやりこめられたり、といった結末を迎えます。
力を誇示する者を、狂言はネアカに笑うのです。
「梟山伏」は、能「葵の上」のパロディとして作られた作品といわれています。
装束(しょうぞく)は、頭に兜巾(ときん)、首には篠懸(すずかけ)、手には数珠(じゅず)と、山伏の特徴的な出で立ちです。
また、水衣(みずごろも)の肩の部分を上げ、袴は裾を縛って脚半(きゃはん)を付けた括袴(くくりばかま)にすることで、活動的な様子を表します。
弟・太郎(裕基さん)
長袴をつけ、頭には白い鉢巻をして、鬘桶(かづらおけ)にうつむいて座っています。
鉢巻
この鉢巻は、「病鉢巻(やまいはちまき)」といわれ、病人または病的状態にある人物であることを示しています。
病鉢巻といえばまず紫色が思われます。
これは漢方薬としても用いられる染料の紫根で染められており、薬効があるとされていましたが高価なため、高貴な人が主に用います。
普通、病鉢巻は左側に結び目がありますが、この弟は右側に結び目があり色は白。
白色は、平民であることをしめしているのでしょうか。
右結びにしているのは、歌舞伎の「助六」にみられるように「若衆のしるし」であり、弟が歳若であるためでしょう。
また、病気というよりも憑き物につかれた魂を鎮めてもらいたい、という願いではないでしょうか。
鉢巻の語源が、頭蓋骨の周囲を鉢と呼び、この鉢を巻いてとめることで魂を留め心を引き締める効果がある、とされることによります。
鬘桶 かづらおけ
漆塗の桶。
能・狂言では椅子としてこれに腰掛けるなど様々な用途に使われ、特に狂言では蓋を杯として用いることがあります。
兄
弟の隣に控えています。
狂言では、脇役のことをアドといいます。
装束しょうぞくは当時の庶民の代表的な服装を示すもので、
狂言袴(きょうげんばかま)を短めに着付け、活動的な仕事をしていることを表します。
上着には肩衣(かたぎぬ)を付けています。
こどもたち・立衆(たちしゅ)
三人が白にブルーのラインの入ったつなぎを着て、神妙に座っています。
連歌の会の参加者や参詣人など、同趣の人々が複数登場する場合はこれを立衆と呼び、立衆を率いる演者を立頭(たちがしら)といいます。
今回は、兄が立頭という趣向でしょう。
物語
ある男が、山から帰ってきて以来具合の悪い弟の太郎を治してくれるよう、山伏に頼みます。
兄の話によると、弟は山に入ったときにフクロウの巣を下ろしたということなので、山伏はフクロウがとり憑いたのだと察し、フクロウの嫌うカラスの印を結びます。
山伏の萬斎さん、眉根を寄せて重々しい表情。
「明王(みょうおう)の、索(さっく)にかけて祈るならば、などか貴徳(きどく)のなかるべき」
(カラス明王様にご祈祷すれば、必ず尊い功徳があるはずだ)
明王
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)のことと思われます。
烏の文字をいただいておられます。
五大明王の一尊に数えられ、炎の神であり、「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳をお持ちです。
心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとし、火神・厠の神として信仰されてきました。
索
能「船弁慶」で、嵐をおこす平知盛の霊を鎮めるため弁慶が祈祷する
「不動明王乃索にかけて。祈り祈られ悪霊次第に遠ざかれば。」
という謡があります。
「索」(さく)とは、
正しい法に帰依せず、邪道に外れた者を正道に連れ戻すために不動明王が左手に持っている縄がこれ。刀身の彫刻にみられる索は、簡素な縄のみの他、その端部に三鈷や素剣を付加する場合があり、いずれも不動明王の化身体を意味している。
刀剣用語解説集
などか・・・べき
「どうして功徳のないことがあろうか、いやないことは無い・必ずある」と訳すことができます。
「などか」は疑問の 副詞「など」に係助詞「か」が付いて一語化したもので、文末の活用語は連体形で結びます。
「か」は係助詞で、疑問・反語の意味があり、
下に打消の語「なかる=なしの連体形」を伴ってどうして…か、いや、…ないという反語の意を表します。
「べき」は可能を表す助動詞「べし」の連体形で、ラ変型活用の「なし」連体形「なかる」に付きます。
「ぼおぉろぉーんー ぼおぉろぉーんーー」
山伏は印を結び数珠を鳴らして、それらしく怪しい呪文を一心にとなえます。
すると、弟は身体や顔をかきむしり両手で羽ばたいた挙句、手を高くあげ、
山伏に向かって「ほおぅ―っっ」
思わず身を引いた山伏、気を取り直してまた祈ります。
今度は弟、兄や子どものほうに向かって「ほおぅ―んっっ」
兄と立衆の子供たち、身体や顔をかきむしって羽ばたき、四人で「ほおぅ―んっっ」
白い煙と共に、子どもたちはフクロウの面と羽をまとってしまいます。
「これはいかなこと、あに、こどもにも憑いた(ついた) 」
戸惑った様子の山伏、正面を向くと身体をかきむしり始め、
なんと、山伏自身にもフクロウが憑いて「ほおぅ―んっっ」
山伏を先頭に、皆で「ほおぅ―んっっ」と叫びながら、一列になって退場。
ここで、太郎の裕基さん、人形ぶりらしきロボット歩きをしています。
人形ぶり
歌舞伎の特殊な演出法の一つ。
義太夫狂言で俳優が人形浄瑠璃の人形を模し、その動きに似せて演じる技法をいう。
ことさら誇張して人形をまねた身振りにより舞踊的な効果を上げる。
多くは娘役の激情を表す情景に用いるが、道化がかった敵役が演じて長時間の芝居に見た目の変化をつける例もある。
行列一番最後のちっちゃなフクロウさん、前のお姉ちゃんにぶつかりそうになって一拍叫び声が遅れたりして、かわいいぃ。
絵合わせ百人一首 在原業平朝臣(17番)
千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは)
からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣(17番) 『古今集』秋・294
【意味】
不思議なことが多かった神代にも聞いたことがない。竜田川が真っ赤に括り染めになるなんて。
【解説】
”ちはやぶる”:神にかかる枕詞で、勢いの激しい。
”神代”:神がおさめていた時代。
”竜田川”:現在の奈良県生駒郡にある川。
”からくれなゐ”:真紅。
”くくる”:括って染めるという意味。絞り染めにすること。古今集の詞書に「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる」とあります。
つまりこの歌は屏風の絵を見て詠んだ歌。二条の妃(高子)とかつて恋愛関係にあった作者が、昔の恋を思い起こさせる為により大げさに詠んだと言われています。
作者は美男子として有名だった在原業平(ありわらのなりひら)。在原行平(16番歌)の異母弟です。六歌仙、三十六歌仙の一人で、伊勢物語は業平を主人公にしています。
在原業平
伝説的なイケメンかつ歌人という、当時のモテ男に欠かせない二大要素を持っていた人であり、また「伊勢物語」のモデルとも称される御仁ですね。
業平がモデルとされる「伊勢物語」
なかでも有名なのが「芥川」
ちはやふる
「ちはやふる」といえば、これでしょう。
千早という名を持つ少女が、競技かるたの世界を極めクイーン位を目指す物語で、最新の第39巻では、クイーン位挑戦権をかけて戦っています。
丁寧に読み込めば、百人一首の覚え方から、競技かるたの奥深い世界まで知ることができます。
千早という名前に、競技かるたにおける彼女の武器をしのばせているようですね。
「聴力にすぐれ微妙な息使いやアクセントが聴き分けることができ、初めの一音をきいただけで次の音を察することができる」(かるた用語で、感じがいい、というそうです)
【千早(ちはや)ぶる】
次の「神」にかかる枕詞で、
「いち=激い勢いで」「はや=敏捷に」「ぶる=ふるまう」という言葉を縮めたものです。
競技かるた
試合が長時間にわたり一般の想像以上に気力、体力も求められることなどから「畳の上の格闘技」とも形容される。
アニメ版・実写版の映画もあります。
論語
みわサンに見守られながら、子どもたちが一人ずつ、論語の一説を読み上げます。
― 論語の20編のうち、第二編・為政(いせい)より
【孔子の名言】論語はやっぱり人生最高の教科書。おススメ名言と共に紹介! | 冷静と情熱のアイダ
15歳は「志学(しがく)」…学問で身を立てる決心する
(子し曰いわく、)吾われ十有五じゅうゆうごにして学がくに志こころざす。
30歳は「而立(じりつ)」…独立した自説を持つ
三十さんじゅう而にして立たつ
40歳は「不惑(ふわく)」…迷わずに自由に物事を見る
四十しじゅうにして不惑まどわず
50歳は「知命(ちめい)」…自分の使命・役割を悟る
五十ごじゅうにして天命てんめいを知しる。
60歳は「耳順(じじゅん)」…何を聞いても素直に受け入れる
六十ろくじゅうにして耳みみ順したがう
70歳は「従心(じゅうしん)」…思うままに行動しても道理は外れない
七十しちじゅうにして心こころの欲ほっする所ところに従したがいて、矩のりを踰こえず
― 為政第二 4 子曰吾十有五章 020(02-04)
子曰。吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。
人が年齢とともに成長するということについて、孔子が語った言葉です。
これは、人生の転機となる年齢を伝えています。
私は耳順を超えましたが、素直な心で他者に接することができているでしょうか。
自問自答・・・耳が痛い・・・「耳痛」です。
最後はコニちゃんと子どもたちが、書き下し文をメロディに乗せ「ろーんごろんご・ろんご ♪」と歌い踊ります。
みわサン、にっこり
「ワタクシは46億歳にして…ふふふ、ほほほ…」
May this small seed sprout in your field.
See you.