昨日の記事で、
夾竹桃を見ると、脳内で、ある曲が自動再生される話を書いた。
まさしく、「刷り込み」が成功した好事例だろう。
日教組の方々が読まれたら、喜びそうな記事である。
(広島県は日教組の活動が盛んで、現在でも教員の加入率はトップクラスらしい)
「夾竹桃の歌」は、正直ダサい。
楽曲としての完成度は、すこぶる低いと思う。
こんな歌を刷り込んでくれて、とイヤになるくらいの出来だ。
それでも、「非核・No more HIROSHIMA」が刷り込みされた私は、成人した現在の私自身からみてそれほど悪くはない、と思っている。
日教組の功罪は別として。
核爆弾の恐怖は、現在でも脅しとして通用する。
こんなものを、イデオロギーの押し付けに使うことは許されない。
そして、教育における「刷り込み」は、
自国の利益だけを独りよがりに推し進めるため、一部の国では今も利用され続けている。
「洗脳」と言い換えることもできる。
考え様によっては、この方が核爆弾より怖い。
私たちの今は、どんな「刷り込み」の要素で出来上がっているのだろう。
「愛着形成」「自己肯定感」も乳幼児期の刷り込みに関係しているらしい。
子どもの養育に携わるものとしては、心しておかねば。
See you.