母は専業主婦で、一人娘の私を溺愛する。
発達障害あるあるだが、私は偏食が酷かった。
夕食は、いつも私用に別メニューを用意してくれた。
料理好きだったので、それも苦にならなかったそうな。
ー 給食は完食すべし!の時代で、就学後、私の偏食は矯正された。
県外の大学に進学後、私は寮生活を送る。
そこへ、蛍が宅急便で届けられた。
ホ・ タ ・ ル って ………
虫かごに詰めれられた草にとまって、淡い光を放っていた。
なんでも、蛍狩りに行ってあまりにキレイなので送ろう、と思ったそうだ。
寮中の評判になった(そりゃそうだ)
この後父が退職するが、脳血管性の認知症になってしまう。
なんせ、マダラぼけなのである。
当時、認知症、特に脳血管性の認知症への世間の理解は無いに等しく、母は随分苦労したようだ。
「ようだ」というのは、私はそのまま県外で就職・結婚してしまい、まったくと言って良い程父の介護はしなかったからだ。
年の差夫婦だからこそ成り立った介護生活だろう、と今にして思う。
手助けしない娘でごめんなさい、グランマ。
父がポックリと逝ってしまった後、母の第二の人生が始まる。
遺族年金が入るので、生活には不自由しなくてすんだ。
(父よ、ありがとう、母の苦労が報われました)
市が主催する「老人大学」に入り、講演を聞いたり、つまみ細工のサークルに入ったり。
一人暮らしで遠慮がないものだから、自宅は友人やご近所さんのサロンとなる。
料理好きで、工夫しながら生活を楽しみ、ゲーム感覚で節約にも励む。
積み上がった貯蓄の恩恵には、私も随分とあずかった。
こんな具合に、一人暮らしをenjoyする母であった。
See you.