私の生活の中パーツのひとつが、仏教です。
寝かしつけられました
ボンちゃん、最近は寝る前に絵本を5冊ぐらい読んでもらいます。
その後は照明を落として、バァバも一緒にお布団に横になります。
子守歌もポンポンもしなくなりました。
ボンちゃんよりバァバのほうが先に寝入ることも、ままあります。
昨夜は、「バァバ~」と言いながら寄ってきて、
「ねーんねこ、ねーんねこ、ねーんねこよ ~ ~ ※〇△% ♪ 」
と歌いながら、お腹をポンポンして、バァバが寝かしつけられました。
「ゆりかご」の歌は寝かしつけの時、色んな歌を唄った最後の定番曲でした。
「ねーんねこよ ~ ~♪ 」の後・・・
続いたフレーズは
「にょーらーいだ―いーひ―の おーんどーくはー ♪ 」
恩徳讃
仏教賛歌の定番曲「恩徳讃」でした。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨をくだきても謝すべし
【意訳】
阿弥陀如来よりいただいた大悲のご恩はかえしきれないご恩です〕
身を粉にする思いで報じましょう
釈尊をはじめとして教法をお勧めくださった善き先師の人々のご恩も、骨をくだく思いで報じましょう
「ねーんねこよー」の後に続けるのにコード進行がぴったりなので、いつも私が唄っていたから覚えてしまったんです。
真宗門徒が一人誕生しました。
仏教賛歌・音楽礼拝
仏教賛歌とは、キリスト教の賛美歌に刺激されて西洋音楽を導入し、明治期以来歌による布教伝道を目的に、仏教に関する素養のある作曲家、作詞家によって作られたものです。
この仏教賛歌を用いた礼拝が、音楽礼拝です。
仏教と私
生家は浄土真宗本願寺派でしたが、葬儀や法事以外にお寺さんとのご縁はありませんでした。
分家でしたのでお仏壇もなく、本家を訪ねた時にお仏壇に礼拝する程度。
「亡くなった方の冥福を祈る」「先祖供養」が仏教と思っていました。
まぁ、あるあるの仏教とのご縁でした。
その後、入学した学校が真宗系の学校。
これは本当にたまたまで、私の偏差値と通学の便から選んだのです。
その学校では、節目の行事には仏教賛歌による音楽礼拝が行われており、宗教の時間もありました。
そんなこんなで、「仏教って何?」と関心が生まれ、自分なりに調べ始めたのですが
衝撃でした。
それまでは、仏様とお釈迦様の区別さえついていなかったのです。
お釈迦様は実在の人物だった・・・
お釈迦様ご自身は、何一つ書き残してはおられない
お釈迦さまの説かれた教えを確認しまとめたものがお経
お経に漢字が並んでいるのは、サンスクリットを漢訳したから
その漢訳をそのまま音読みするのが読経
仏教の教えは本来ロジカルな思想哲学だった
など、ごくごく初歩の知識の吸収から始まったのです。
学校の宗教の時間で習ったことはほとんど身についておらず、自発的に調べ始めてやっと腑に落ちた、という訳です。
その後、婚家先もたまたま同じ浄土真宗本願寺派でしたが、かなり熱心にお勤めする家でした。
毎月お寺さんに来ていただき、法事では一族皆が「正信偈」を唱和するのです。
「門前の小僧」で、私も毎月のお勤めで正信偈を上げられるようになり、
娘たちも覚えました。
幼稚園の頃、横断歩道を渡りながら「なーもあーみだぁあんぶー」と大声で詠って、親を慌てさせました。
浄土真宗
インドから中国を経て渡ってきた仏教が、色々な解釈を加えられ変遷した大乗仏教の最終系だと思っています。
一言でいえば ― ただ阿弥陀如来の働きにまかせて全ての人は往生することが出来る。
初期仏教の教えのロジカルさは、ほとんど感じられません。
本からの知識で何とか理解しようとしましたが、難解です。
ふあふわと心地よくお湯につかっているように、み教えのなかを漂っています。
正信偈をあげると、心がおちつきます。
瞑想
「もう、怒らない」がヒットした小池龍之介氏や、「怒らないこと」アルボムッレ・スマナサーラ師、プラテナ・ユキナボー師の教えをかじりました。
初期仏教・上座部仏教の本を少しずつ読んでいます。
浄土真宗のみ教えとは別物として勉強しています。
瞑想は、自分一人ではなかなか難しい。
もう少し易しいマインドフルネスを試みています。
読みはじめたのがこの本
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読み終わったら、レポートします。
きょうの種
・仏教は苦からの解脱を目ざすための方法論
・手段は色々ですが、「マインドフルネス」がとっつきやすそうです
May this small seed sprout in your field.
See you.