私の母は、現在93歳。
要介護4で、故郷の特養に入所している。
母はかねてから、施設に入所するにしても故郷の街で、と希望していた。
私の住む街の施設では、ことばも違うし話も合わないから、 と。
いわゆる遠距離介護となる。
私は一人っ子のため、母の介護の全責任を担っている。
兄弟がいないので責任は重いが、その代わり自分の思い通りに事を運ぶことができる。
自分史でもあるので、今までのこと、これからのことを書いていく。
ボンちゃんから言うと、great grandmother だが、長たらしいので
母のことは、文中「グランマ」と呼ぶことにする。
グランマのプロフィール
田舎のお嬢様である。
地主の娘で、農地改革後も自らが土を耕したことはないらしい。
せいぜい、畑仕事をする家族のお昼に、お弁当を作って届けるくらい。
農閑期になると、毎年村芝居が回ってくる。
村長のお嬢様と仲が良かったので、いつも一等席。
お花代もそれなりにかかっただろうに。
だから、歌舞伎の演目には詳しかった。
ー 後年、私が歌舞伎に興味を持ったのも母の影響
適齢期がちょうど終戦の混乱期と重なり、行き遅れる。
それほど収入はないが、街暮らしで歳の離れた父と、見合い婚した。
「〇〇子は身体が丈夫じゃないんじゃけぇ」と、娘Loveの父親が嫁入り道具に洗濯機を持たせた。
「〇〇さんとこは、洗濯機を持って行ったんじゃと」と評判になり、それ以降、洗濯機が村の嫁入り道具のトレンンドになったらしい。
嫁入りの衣装に、とびきりの帯を母親が用意した。
さすがの父親も「米、何俵じゃ??」と目をむいたが、母親が「帯は女の命じゃ」と譲らなかったそうな。
ー その帯は私が譲り受けたが、
シングルになった時、
着物類はすべて手放す。
一切合切、二束三文で買い叩かれた。
写真と私の記憶に残るのみ。
女の命は儚い。
美人薄命だもの ʅ(◞‿◟)ʃ
続く……
May this small seed sproud in your field.
See you.